でとっくす・その3 [雑記]
しつこいですが、もう1回。
第3弾:自分が「ファイナルファンタジー13」を買わない理由。
※ちなみに、今回・前回・前々回の記事のアマゾンリンクはアフィリエイトを外してます。
---「並んで交互にドツき合うRPG」はもういいや。
(虚飾を外せば、FF10-2からほとんど変わってないし。)
よく考えてみたら、自分にとって「天下のナンバリングFF」といっても、既にFFは9で卒業したつもりで、それ以降は個々の作品に「体験してみたい明確な新要素」があったから買ってる感じなんですよね。
FF10はボイス、FF11はオンライン、FF12はオフラインシームレスという明確な違いがあったけど、FF13って、実質的に飾りでしかないアクション表現や名前だけ新しくしたシステムといった虚飾?な部分をとっぱらったら、10-2あたりからほとんど変わってないと思うし。
変えりゃいいってものでもありませんが、変わってないなら、こういう「並んで交互にドツキあうRPG」、「ドラマとゲームが交互に重なっただけのRPG」はもういいや、って自分は思います。
(厨二病は悪くないけど、個人的には苦手なタイプだ。)
世間には、世界観が厨二病すぎとか専門用語が訳分からないとか言われてるみたいですが、そういうのが好きな層をターゲットにしてるんだろうから、それ自体はいいじゃないかと思います。専門用語はプレイしていけば自然と理解できるものだし。
・・・ただ個人的には既にいい歳なのでw、「いかにも壊すべき不条理な世界を設定して、それを色恋沙汰に悩む若者に壊させる話」という「今時のJRPGの王道」は、いい加減食傷気味というか、当たり前すぎて物足りないというか。
それと、鳥山ゲーって、能書きが特に大仰な割に中身は安直だったり、作り手の独りよがりさが特に強い印象があるので、FF13が「厨二病的名作」になれるかどうかは半信半疑です。
※FF13ってやたらと野村さんが矢面に立たされるけど、むしろ鳥山求ゲー(FF10というよりFF10-2)だよね?
(実はラストバトルのあり方にトラウマがあってさ・・・)
個人的なFF13不信wの最大の理由が、このスタッフが手がけた作品は「ラストバトルの戦い方を作り手に制限される」パターンが続いている、ということです。
最後の最後、長い物語(ゲームプレイ)の大詰め!というところで、お仕着せのイベントバトルをやらされたり、それまでプレーヤーが構成してきたプレイスタイルを全否定して、作り手の決めたスタイルを強制するんですね。自分はそれが心底大嫌い。
ラストだけに他の要素で相殺することもできず、作品全体の後味が悪いまま終わってしまうので、ダメージが凄く大きいです。
始まったのはFF7のセフィロス戦だと思うんですが、あれは短すぎて気になりませんでした。気に入らなかったのは、FF10の「強制オートリレイズ」とFF12RWの「強制一般ユニット出撃禁止」。
スフィア盤で育成の自由度を謳っておきながら、勝手にアビリティを付けたり、
召喚獣を育成して指揮して戦うRTSなのに、ラスボス戦はリーダーキャラ限定。
例えれば、FF5でラスボス戦だけ強制的にジョブが決められてしまう感じ。ありえないでしょ?
どちらも、プレーヤーの感覚より作り手の考える演出効果を優先してるんですよ。その結果ゲームシステムの良さまで自己否定してる。それが出来てしまう価値観が、自分とは根本的に違いすぎると思いました。
だから、「このスタッフがどんなに完成度の高い作品を作っても、自分には合わないだろう」という気がしています。いや、自分に合わせなきゃいけない義理は無いんだけどねw
自分は、ラスボス戦は「プレーヤーのゲーム体験の総決算」だと思うし、そうあって欲しいと思います。「作り手の総決算」にするべきではありません。私見かもしれないけど、これは譲りたくありません。
作り込んだ物語の一番の山場をプレーヤーに任せるのは、もどかしくて、怖くて、難しいだろうとは思うけど、そこを作り手が仕切ってしまうようなら、ゲームじゃなくて映像作品にすべきだと自分は思います。
・・・FF13はそうじゃないかもしれません。そうじゃないといいな、と自分は思います。
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